馬が竹林を政って行く。孟宗竹の幹が、ゆっくりと風を受け流しながらしなる。笹の葉擦れの音が、一枚一枚は細やかなのだけれど、数千本数万本の林だから、ザワワザワワと重なり合い、それがフィードバックをかけたように、すさまじく奥行きの深い協奏曲となって耳に届く。
僕は、ビーチの松の木の下のデッキチェアに裸の身を横たえ、目の前の、エメラルド色に多少のミルクの白さを混ぜたような、不思議な色の海を抱くこともなく見つめている。
もう三日間も、ずっとそうしている。空は青い。
一日目の朝は、マメアビフィンにシュノーケルという、南に旅する時には離したことのない点セットを持ってホテルの部屋を出た。
ホテルのプライベート・ビーチの浜辺の磯を何箇所か潜ってみたのだけれど、どこもブランラトンが多いのか白得した向水であって、スキンダイビングには適していなかった。
マラッカ海峡は、潜るべき場所ではないようである。
その日の午後に、竹林を抜ける風の音と、時折、その林の中で鳴く鳥の声の方が、ここ、べナン島のリゾート、パート・フォリンギでは、日本から持ってきた数本のミュージックテープよりも心地よいことに気づき、成田空港で買ったカセットプレーヤーごと、ホテルのボーイにやってしまった。それ以来、人工の音楽は全く耳にしていない。ホテルの部屋にはラジオもない。
デッキチェアの耳元で砂の鳴る音かして、ふりかえると古風なサングラスに白いグルカショトッを身につけた中国人と思われる老人が立っていた。ホテルに泊っていたドイツ人の団体客は今日の早朝に発って行き、この派には、僕と老人の二人の他には人影ひとつ見えぬ。
老人と僕は互いのサングラスごしに見つめあっていた。陽差しは強く、僕は額に汗の玉を浮かべ、老人柱松の木の陰の下から一歩も動かぬという気構えを見せたまま、英語を喋った。
「静かですな。静かなのが一番だ。心の中に自然が流れ込んでくる」
僕は答える言葉を思いつかず、特に答える必要も感じないまま、沖をゆっくりとセイリングするウィンドサーフィンの帆を眺めた。僕の視線を追って、老人も海に目をやる。
「ああいったものはよろしい。この浜にも、時たま北の海ぞいのホテルからウォーター・スクーターという代物がやって来るが、あれは音がやかましくていけない。海は静かなのが一番です」
そういえば、この三日間、ホテルのボーイと、食堂で同席するドイツ人以外に誰とも口をきいていなかったことに気づいた。人の話す声が懐しい気もする。言葉を返した。
「笹の葉を風が抜ける音を楽しんでいたのです。いい音楽です」
「ほお、まだお若いのに。どちらからおいでかたよろしいかな?」
「日本からです。東京。音のあふれている都市でしてね。その分だけ沈黙と語り合う機会の少ない街なのですが・・・・・・」
武満徹みたいなことを言ってみた。
「静かなる日本人か。結構結構。戦争中の兵隊さんの中にも、たまにそういった人はいましたわい」
マレー半島に旧日本軍が駐留していた時代のあったことに、その時初めて気がついた。旅行なんてそんなものだ。相手の都合は考えず、自分の精神状態のみでその地に乗り込む。
「何故、ペナンに?」
「特に理由はありません。海が好きなのと、飛行機の切符が安かったこと。あとは焼き鳥が美味いと聞いたからでしょうかね」
「サテーがお好きか?よければ今夜でも安いが味のいい屋台を御案内しましょうかな?」
このあたりで相手の正体が見えてきたような気がした。
しかし、フリーのガイドが何故、このプライベート・ビーチに入って来られたのか?
もしかすると、ホテルの従業員の父親か何かなのかもしれない。
「いや、ジョージタウンの屋台は二晩まわって堪能しました。サテーも牛、鶏、羊をひととおり食べましたし、ワンタンメンの屋台も味わいましたから」
カセットプレーヤーをプレゼントしたボーイが感激のあまりガイド役を買って出て、ここ二晩、僕をひっぱりまわしたのである。串に刺した各種の肉は美味で、しかも安かった。
屋台三軒ハシゴして、二人の勘定の合計が日本円で千円そこそこであった筈だ。
「ふむ、食べる方はいいと。そうなると、あと必要なのは・・・・・・」
女、と来るかなと思ったが外れた。
「気持ちを安らかにして、風の音をさらに深く聴きとれるような、ちょっとした草の葉ですかな」
ペナンの空港に、夜、到着して、バゲージ・クレームで鞄を取り上げた時に、目の前の柱にぜってあった英文とマレー語の表示が目に浮かんだ。曰く「当国内に於いて如何なる種類といえども麻薬またはそれに準ずる物を所持及び売買した者は最高刑、銃殺に処す」。
銃殺は嫌だ。痛そうだ。第一、この国の兵隊の持っている軍用ライフルの弾は、メタルジャケット弾頭の先端に錆が浮いていそうな感じがする。あんな弾を撃ち込まれて破傷風にでもなったらどうするんだ。
しかし、このホテルに、あと三日は滞在する予定だ。竹の林は美しい。午後に強い風をともなったスコールが通り過ぎて行く時の、竹が一斉にたわんではすぐに元の直立した状態に戻るスローモーションのような様など言うに言われぬ。あれをストーンして見たら、どんなに美しいことだろう。音だって悪いに違いないのだぞ。買うたらあかん買うたらあかん危ない。でも買いたい。
「タイ・スティックですか?」
「ローカルですがな、ブッダ・スティックと同じ品質、いや、それ以上と言っていいでしょうな」
僕は貧乏旅行者である。ここから上の方にあるラササヤン・ホテルに滞在しているような、土産物や免税店での買い物に平然と数十万円を使う日本人団体客とは身分が違う。だから、そう言った。
「安いのもある。でも高い方が効き具合がいい。醒め際もいい。ま、どちらを買おうと貴方の勝手よ」
買うことに決めた。
僕は日本国内ではマリファナはやらないが、初めて吸ったのは、ビル・グレアムのフィルモ ア・ウェストでグレートフル・デッドのライブを見ながらという由緒正しい入門の仕方をした人間である。世が世なら一流派の家元を名乗ってもおかしくないと自認している。表フィルモア流だ。
裏フィルモア流は奇をてらってLSDに走り自滅した。我が表フィルモア流ではアシッドに走ると即破門、覚醒剤などは外道も外道、畜生の業である。自然こそが人の道なのだ。
ホテルの敷地内での取引きはまずいという老人の言葉で、夕方6時、表門の外で待ち合わせることになり、老人は口笛で耳慣れたメロディを吹きながら立ち去った。よく考えてみたら 「長崎は今日も雨だった」であった。東南アジアでは、スタンダードと思われている曲である。
6時。一雨きて、草いきれのする中をホテル正門まで出たら、老人がスーパーカブで走ってきた。そのままタンデムで走って、10分足らずの距離に屋外に粗末なテーブルと椅子を並べた中華料理店があって、地元の人々がランニングシャツ姿で、のんびりと蚊を団扇で追いながら食事をとっていた。
スーパーカブが停まり、老人が先に立ってテーブルのひとつに着く。ベニヤと波型トタンで建てられた調理場とおぼしき所から肥満しきった中国人の親爺が出て来て、 僕の顔をまっすぐに見据えて走り寄り、「おお陳さん懐しい!」と福建語でこれ見よがしに抱きついてきた。狐臭の匂いが僕の鼻一杯に広がって、同時に男が日本語で耳元で囁いた。
「ナンポン欲シイカ。高イ方ガイイカ安イノニスルカ?」
スティックで十本もあればいい。高い方にしようと英語で答えた。
「高イノハイイヨ。デモ高イヨ」
ちょっと不安になった。ショートパンツのポケットには、500マレーシア・ドル、日本円にして五万円足らずの現金しか突っ込んでいない。
「五本にしようかな、高い方で」
「五木カ?十本買エバ、少シダケ高イ方、安クナル。安ク高イノ欲シカッタラ十本ガイイナ。ベンキョー、ベンキョー」
勉強は小学生の時から嫌いだと言おうと思ったが、相手のボキャブラリーを考えてやめた。OK。あとは野となれだ。最悪でも僕が首から下げている二十四金の10グラム・インゴットのペンダントが使えるだろう。
肥満的中国人はトクン葺きにせせこましく駆け戻ると、群がるヴェトナム難民刈り頭の子供たちを叱りつけつつ、自転車で走り去った。
が、闇の中をよく見ていると、彼は汗をかきながら走り去るふりをして、その周囲を一周し、ひそかに裏の林からトタン葺きにペダルを漕ぎ戻ったのである。老人の方は、僕の注意をそらすため、ビールなどすすめて世間話をしかける。 この商売も大変なようである。相づちを打ちながら横目で眺めると、肥満体、再び自転車に打ち乗り、同じ道一周して眼前に現れ、煮しめたようなハンカチで汗を拭いつつ僕に歩みよって再び抱きしめて叫ぶ。
「おお王さん懐しいな!」
腋臭と共に耳に囁きが来る。
「十本ネ。デモ、コレ遠クデ仕入レタ。チョト高イ。デモイイ奴」
何が遠くだ。
「いくらになるのかね?」
「コレイイカラ高イ。チョット高イ。ケレドイイ。頭痛クナイ」
イライラしてきた。
「金はあるんだ。十本でいくら?」
「高イヨ。デモイイヨ」
「だから、いくらなんだよ」
「チョト高クテ、十本デ2ドル50モラワナケレバナラナイ」
日本円で二百四十円も取られたのである。
翌日、ホテルから歩いて10分程の所にある滝に出かけたら、途中の林で老人と肥満体が二人で鎌をふるって、見なれた五葉の野生植物を刈り取っていた。僕を認めて、ちょっと照れくさそうに老人が言った。
「ココノハ、安イ方ダヨ」

